みどころ

みどころ①
奈良博が所蔵するエース級の国宝が勢ぞろい!

国宝 薬師如来坐像

国宝 薬師如来坐像 平安時代(9世紀)

明治時代初頭まで京都東山の(にゃく)王子社(おうじしゃ)に伝わった。彫りの深い顔立ちや、衣のひだの鋭い彫りに檀像(だんぞう)の特色が顕著である。膝が台座からはみ出す表現や、衣文の彫り方は京都・東寺(とうじ)講堂(こうどう)諸像とよく似ている。

国宝 十一面観音像

国宝 十一面観音像 平安時代(12世紀)

平安仏画を代表する十一面(じゅういちめん)観音(かんのん)像の名品。金箔を細く切った截金(きりかね) 文様で華麗に装飾され、斜めを向く姿勢や体の線に沿って施される朱の隈取(くまど)りなど、奈良時代に源をもつ古様な表現が認められる。かつて法隆寺の鎮守(ちんじゅ)龍田(たつた)新宮(しんぐう)に伝来した。

前期展示

みどころ②
仏教美術の教科書がココに!至高のコレクションを大公開

重要文化財 弥勒如来坐像(長崎県鉢形嶺経塚出土)

重要文化財 弥勒如来坐像(長崎県鉢形嶺経塚出土) 平安時代 延久3年(1071)

石の(かたまり)から彫り出した如来像(にょらいぞう)。内部に経巻(きょうかん)を納めるため、像底に大きな孔が開く。胸や背面に願主(がんしゅ)仏師(ぶっし)の名前を刻む。蓮台(れんだい)には九品(くぼん)九生(くじょう)極楽(ごくらく)往生(おうじょう)の九段階)を意味する円輪を刻む。

後期展示
三鈷杵

三鈷杵 平安時代(12世紀)

わが国の金剛杵は平安時代後期に優美さ、力強さにおいて完成期を迎えたとされる。本品の美しくカーブする鈷や柄中央の高く突出する鬼目(丸い部分)はそれを実感させる。川端康成旧蔵。

みどころ③
疫病退散!国宝「辟邪絵」が勢ぞろい!

国宝 辟邪絵(部分)

国宝 辟邪絵(部分) 平安~鎌倉時代(12世紀)

疫病や災いを引きおこす鬼とたたかう5人のヒーロー、「天刑星(てんけいせい)」「栴檀乾闥婆(せんだんけんだつば)」「神虫(しんちゅう)」「鍾馗(しょうき)」「毘沙門天(びしゃもんてん) 」。平和を守る神々の勇ましくもユーモラスな姿を見事な筆致で描く、平安絵巻を代表する傑作です。五つの場面すべてを同時公開。

後期展示

展示構成

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第1章ブッダの造形

仏教はいまから約2500年前、古代インドのシャカ族の王子だったゴータマ・シッダールタ(釈迦)が、この世の真理を悟ってブッダ(仏)となり、その教えを人々に説いたことにはじまります。歴史上唯一のブッダである釈迦への尊崇の高まりとともに、紀元1世紀頃にインド西北のガンダーラ地方などにおいてブッダの姿を写した仏像が初めてつくられるようになりますが、仏像のかたちは「誕生」「成道(悟りを開く)」「初転法輪(初の説法)」「涅槃(死)」など、釈迦の生涯にわたる伝記の各場面に登場する姿が典拠となりました。こうしてインドで誕生した仏教美術は、中央アジアから中国、朝鮮半島、日本へと伝播する過程で、地域に根ざした特色ある主題や造形を生み出しながら、さまざまに展開していくのです。

国宝 刺繡釈迦如来説法図(部分)

国宝 刺繡釈迦如来説法図(部分) 飛鳥時代または唐時代(7~8世紀)

古代において刺繡(ししゅう)は主要な仏像表現の一つ。この作品は説法をする釈迦如来を中心に、教えを聞く後ろ姿の女性、菩薩(ぼさつ)、僧侶、供養者(くようしゃ)などを二種類の刺繡技法で表す。仏菩薩の表現は法隆寺(ほうりゅうじ)金堂(こんどう)壁画(へきが)に近い。

前期展示

第2章飛鳥・白鳳・天平の古代寺院

日本に仏教が公式に伝わったのは、飛鳥時代、西暦552年(あるいは538年)のことといわれます。大陸から渡って来た人々が初めてもたらした仏像の金色に輝く神々しい姿は「異国の神」として崇められました。これ以降、飛鳥の地(奈良県明日香村)を中心に本格的な寺院の造営が始まり、7世紀後半の白鳳期になると、中国・初唐期の仏教文化から大きな影響を受けた寺院が営まれるようになります。和銅元年(710)に都が平城京、すなわちここ奈良の地に定められると、遣唐使がもたらした高度な仏教知識と最新の技術を駆使した天平文化が花開き、国家仏教を支える巨大寺院が次々と建立されました。本章ではこうした古代寺院の姿を、堂塔をかつて飾った古瓦や塼仏、信仰の核となった金銅仏をはじめとする仏像、寺院の実態を伝える文書類によって概観します。

瓦塔(静岡県三ヶ日町出土)

瓦塔(静岡県浜松市出土) 奈良~平安時代(8~9世紀)

奈良時代から平安時代に流行した、 素焼(すや)きの塔。相輪(そうりん)、屋根、壁を別々に焼成し、組み上げている。第一層の内陣(ないじん)には小仏像が表される。木造の五重塔を模倣(もほう)した細かな表現が目を引く。浜名湖(はまなこ)を望む山中で発見された。

第3章写経に込められた祈り

釈迦が説いた教えを弟子たちが書き記した聖典である「スートラ」は、中国に伝わると漢文に翻訳されて「経」「経典」と呼ばれ、東アジア各地に広まりました。仏教の伝来とともに日本に漢訳経典がもたらされると、これをもとに経典の書写が国内で行われるようになります。特に奈良時代には、国家事業として官立の写経所において膨大な数の写経が行われ、唐経を手本とした端正な書体をもつ経巻が各寺院に備えられました。平安時代になると、貴族たちの間で個人的な祈願成就を目的とする写経が流行し、文字や料紙を美しく飾る装飾経も盛んに製作されるようになります。またこの時代には釈迦の教えがすたれる末法の世の到来が信じられたことから、書写した経典を後世に伝えるためタイムカプセルのように土中に埋納する経塚が各地に営まれ、かたく丈夫な素材に経文を刻む銅板経や瓦経などもつくられました。

国宝 金光明最勝王経巻第一(国分寺経)(部分)

国宝 金光明最勝王経巻第一(国分寺経)(部分) 奈良時代(8世紀)

この経を(うやま)えば国が(まも) られると説く経典。天平13年(741)、聖武(しょうむ)天皇(てんのう)は全国に国分寺(こくぶんじ)を建立し、塔に金字最勝王経を安置するよう命じた。本品は備後国分寺のものとされる。奈良時代写経を代表する名品。

第4章密教の聖教とみほとけ

平安時代初期、新しい仏法を求めて中国にわたった最澄や空海をはじめとする入唐僧によって、本格的な密教が初めて日本に伝えられました。呪術的な祈りによって人々の願いをかなえる密教では、さまざまな祈願を目的とする「修法」と呼ばれる実践的な儀礼を行います。特に真言宗や天台宗の密教寺院には、修法の本尊や次第内容に関する口伝や規則などを記した文書・記録である「聖教」が脈々と継承されてきました。また、空海の言葉に「密教は奥深いため、文章のみで真理を伝えることは難しいので、図画を用いてこれを示すべきである」とあるとおり、密教では曼荼羅などの画像を本尊として重視します。このため、多くの顔や手をもつ菩薩や、怒りをあらわにする明王など、密教独自のほとけを表した仏像・仏画の優品が数多く残されたのです。

重要文化財 如意輪観音菩薩坐像

重要文化財 如意輪観音菩薩坐像 平安時代(9~10世紀)

如意(にょい)宝珠(ほうじゅ)輪宝(りんぼう)などを持つ、六臂(ろっぴ)の如意輪観音。カヤ材の一木造(いちぼくづくり)で、重量感のある体つきをしている。連なった眉に切れ長の目をしたエキゾチックな顔立ちで、外来の仏像の影響が感じられる。

第5章仏教儀礼の荘厳

6世紀の半ばに日本に仏教が伝来した当初、大陸から仏像や経典とともに「幡」「蓋」が一緒にもたらされたことが示すとおり、仏の礼拝供養や経典の読誦などを行う仏教儀礼において、天蓋・幡・華鬘などの荘厳具で仏堂内を飾ることが重視されます。またこうした法会では、僧侶が打ち鳴らす磬などの梵音具、僧侶が威儀を整えるために手にする如意などの僧具も欠かせません。さらに修法や加持祈祷などの実践的な儀礼を行う密教では、行者に特殊な力を授けるとされる法具類が特に重視されました。例えば、鈷と呼ばれる角のような尖りがつく金剛杵など、古代インドの武器に由来するというその神秘的な造形は、これを手にする行者の身を護り、修法の成就を助けるものとされたのです。本章ではこのように儀礼空間を荘厳してきた仏教工芸の魅力を紹介します。

重要文化財 如意輪観音菩薩坐像

国宝 牛皮華鬘 平安時代(11世紀)

華鬘は堂内を飾る荘厳具(しょうごんぐ)で、柱や長押(なげし)などに懸けられる。これは牛皮製の華鬘で、極楽(ごくらく)浄土(じょうど)に住む人面の鳥・迦陵頻伽(かりょうびんが)や空想上の花・宝相華(ほうそうげ)の文様を透彫(すかしぼり)彩色(さいしき)で表した華麗な品。東寺(京都)の伝来。

第6章地獄極楽と浄土教の美術

この世を離れるときに、阿弥陀如来の来迎を受け、極楽浄土へ往生するという願いは、特に平安時代中期以降、日本人の仏教信仰の中核を占めるようになります。天台宗の高僧・源信(942~1017)が著した『往生要集』には、極楽浄土の素晴らしい光景とともに、生前の行いによって輪廻するという六つの世界(六道)のうち、とりわけ恐怖に満ちた地獄の光景が詳細に記されています。人々に死後のイメージを具体的に提示するこの書物は、長らく阿弥陀来迎図や阿弥陀浄土曼荼羅、地獄絵など、浄土教美術を豊かに生み出す源泉であり続けました。奈良博を代表する名品である地獄草紙(157)と辟邪絵(158)は、ともに後白河法皇のコレクションだった六道絵巻に含まれていた可能性があり、平安びとの心をとらえた浄土教美術のすがたを今に伝えています。

国宝 地獄草紙

国宝 地獄草紙 平安~鎌倉時代(12世紀)

地獄(じごく)は、人間が死後に生まれ変わる可能性のある六つの世界(六道(ろくどう))の一つで、生前に重い罪を犯した者が() ちる。本図は様々な地獄を描く絵巻の名品で、 鶏地獄(とりじごく)など七つの地獄が描かれている。

前期展示

第7章神と仏が織りなす美

日本古来の神々に対する信仰は、長らく日本人の宗教観念の基層を形づくってきました。しかし6世紀に大陸から仏教が伝来すると、神と仏は互いに影響しあい、融合しながら、神仏習合という新たな信仰世界を生み出します。東大寺の大仏造立に際して八幡神が助力したことに象徴されるとおり、神仏習合は奈良時代の国家仏教形成とともに著しく進展し、この頃から仏像の影響を受けながら、神の姿を造形化した神像も盛んに制作されるようになりました。また中世には、「本源的な存在である仏(本地)が、人々を救うため仮にこの世に現した姿が日本の神(垂迹)である」という信仰が急速に広まっていきます。この「本地垂迹説」にもとづいて、神社景観の中に祭神の本来の姿とされた仏・菩薩を描く宮曼荼羅など、垂迹美術がさまざまに生み出されていったのです。

春日神鹿舎利厨子

春日神鹿舎利厨子 鎌倉~南北朝時代(14世紀)

春日信仰と釈迦信仰が結びついた作品。春日社の武甕槌命の本地(本当の姿)は釈迦如来とされる。この作品では、武甕槌命は釈迦の遺骨である舎利で表され、神の乗り物である鹿の背に乗っている。

第8章高僧のすがた

インド、中国、日本各地に仏教を伝え広めた高僧たちへの尊敬は、その容姿を礼拝・供養の対象とする肖像を数多く生み出しました。特に仏教の教えを集成・発展させ一宗一派を開いた祖師の肖像は、その宗派に所属する弟子たちより重要な礼拝対象として継承され、法脈を正統に受け継いだことの証とされたのです。例えば鎌倉時代に新しく中国から伝わった禅宗では、師から弟子への仏法の継承がひときわ重んじられ、伝法の証明として、師が自らの肖像画である頂相に自筆の賛文を記して弟子に与えることが行われました。また、高僧が自ら筆を執った書状や法語などの墨跡が、筆者の精神や人間性を体現するものとして尊重され、後世にはそれ自体が鑑賞の対象として珍重されるようになります。

重要文化財 一休宗純像

重要文化財 一休宗純像 室町時代 文安5年(1447)

臨済宗(りんざいしゅう)大徳寺派(だいとくじは)の禅僧・一休宗純(いっきゅうそうじゅん)(1394~1481)の現存最古の肖像画。54歳時の自賛をもつ。傍らの大きな朱塗鞘(しゅぬりざや)太刀(たち)は、実は木刀であり、外面を飾ることにしか興味のない世相を批判している。

後期展示

第9章南都ゆかりの仏教美術

奈良時代に都が置かれた奈良の地は、平安京に都が移った後も仏教文化の中心であり続け、中世には北の京都に対して南都と呼ばれるようになります。特に東大寺、興福寺、春日大社に隣接して奈良博が立地するこの場所は、まさに南都の仏教文化が行き交った中心に位置しています。明治維新後の神仏分離政策などの影響により、流出の危機に瀕していた奈良の社寺の文化財を保存・公開するため、明治28年(1895)にこの地に奈良博(帝国奈良博物館)が開館したことは決して偶然ではありません。奈良博所蔵品の多くは戦後に収集されたものですが、こうした歴史的経緯もあって、東大寺や興福寺、法隆寺など南都の社寺にゆかりの深い仏教美術がコレクションの中核を占めているのです。

重要文化財 愛染明王坐像

重要文化財 愛染明王坐像 鎌倉時代 建長8年(1256)

像内に納めた経典と台座裏の墨書(ぼくしょ)から、制作年と作者、東大寺大仏再建に関係する木材を用いたことがわかる。全体を小作りにまとめた作風や、くっきりと刻む衣に快成(かいじょう)仏師の持ち味が発揮される。奈良・興福寺伝来。

第10章奈良博コレクション三昧

明治29年(1896)に受け入れた100件をこえる文化財の模写・模造類が、前年に開館したばかりの奈良博最初期の主要なコレクションとなりました。その多くを占める仏教絵画の模写は、横山大観や菱田春草など、当時開校したばかりの東京美術学校(現在の東京藝術大学)で学んだ新進気鋭の画家たちの手によるものです。仏教美術に注目が集まる奈良博コレクションですが、125年にわたる歴史の中で、古代人の生活をいきいきと伝える戸籍や写経所職員が書いた休暇届などの文字史料、地元奈良で代々家業を受け継ぐ漆芸家の優品、奈良の古墳から出土した甲冑や鏡など、時代もジャンルも多岐にわたる興味深い作品を収集してきました。本展覧会の最後となる本章で、知られざる奈良博コレクションの魅力をご堪能ください。

武蔵野図

武蔵野図 横山大観筆 明治28年(1895)

秋草の花が咲き乱れる武蔵野(むさしの)の景観を描く。西洋画から学んだ空間表現と、琳派(りんぱ)などの古画から学んだ装飾性が融合した、横山大観(よこやまたいかん)(1868~1958)の初期の代表作。遠景の富士山は大観が描いた現存最古のもの。

後期展示
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